不登校とココロ

【不登校の理由がわからない?】結論:わかる必要はありません

こどもの不登校の理由がわからなくて、悩むことはありませんか?

私は「こどもが学校に行きたくない理由」を探そうとしていました。

Contents

何のために不登校の理由を探していたか?

でもなぜ?こどもが学校に行きたくない理由が必要だったのか?

前回のブログに一部、書いてあります。こちら ↓↓↓

不登校のこどもと親の気持ちを大切に|自由心(じゆうじん) (jiyuusin.com)

不登校のこどもと親の気持ちを大切になんで学校へ行きたくないんだろう・・・どうしたら解決するだろう・・・と悩み、何かできることはないか?どうにかしよう!といろいろやって、結...

前回のブログの理由とは別に、

毎朝、小学校に電話連絡する時、「今日は行きたくないというので、無理させずにお休みさせようと思います。」と伝えると「具合はどうですか?熱はないですか?」と聞かれるので「熱はありません」と答えていました。

「おやすみします」という“欠席のお知らせ→確認”だけでなく、おそらく欠席理由(項目別)が必要なのだろうと思います。そういった毎日のやり取りから、「休む理由が必要なんだ」と意識するようになったというのもあります。

気持ちの“疲れ”に気付いた後に、思ったこと

「なんで行きたくないのかな?」「どうしたら行けるかな」という“行くのが前提”という意識だったのだと思います。毎日登校ではなく「行きたい日にだけ行こうかな」というこどもの気持ちを聞いて、「そうしよう」とお休みの日を入れながら無理させないようにと気を付けていた私も、学校に行って挨拶をしてすぐ帰ってくるだけなのに二人して疲れていました。なぜ疲れてしまうんだろう・・・とわからなくなりました。

もう理由を探すのに意味はないのかもしれないと思い始め、だけどまだ無理していることに気付かず、焦っていた時、「無理しないでいいよ」という言葉を掛けてくれた方がいて、その時の私にとって、その言葉はとても安心しました。

なんとかしたい、してあげたいと声掛けしたり、送り迎えをし、こどももそれに応えようと無理をしたら、それはふたりとも疲れるのはあたりまえか・・・。ということに気付きました。

不登校の理由はわからなくていい

「無理しなくていい」は自分の気持ちに無理をしなくていいということで、理由があってもなくても「行きたくない」という気持ちがはっきりしているなら、“理由”より“気持ち”を大切に行動することにしました。

そして、「学校に行きたくないのなら、しばらくゆっくりおやすみしよう」「だけどあなたが行きたいと思う時は、いつでも一緒に付き添うからね。もう無理させないね」と伝えると、安心したようにうなずきました。その様子を見て、とてもうれしく感じました。

“こどもが安心している”というのは親が一番望んでいることでしあわせなのだと心の底から思いました。同時に、“親が安心している”と“こどもも安心する”のだということを体感することができました。

それからは、「毎朝、今日は行く?行かない?と聞かれるのも嫌だったら、前もって今月の好きな給食のメニューで行く日を決めようか?前日の夜に決めようか?当日の感じで決める?」などと話し合いながら、その時その時の“こどもの気持ち”(ずっとおやすみしたい・なんだか体がだるい・今日は行きたくない・挨拶だけなら行く・給食だけ食べる・漢字だけやろうかななど)がわかっていればそれでいいのだ、気楽でいられて、正直な気持ちそのままに行動してみよう!と思いました。

なので、理由はわからなくていい時もあると思いました。(友達とのトラブルや病気などは理由をわかっていた方が良い時もあると思います)

学校に行きたくない理由よりも、

「どんな気持ちでいるのか」「どうしたいのか」がなにより大切なんだと思いました。

 

※状況の違い、考え方の相違、立場の違いがあると思いますが、あくまで個人の体験にもとづいて感じたとこ、考えを書きました。

ABOUT ME
自由に生きる宇宙人
「自由な心で生きる」にはどうしたらよいか? 人生を通して、葛藤と苦悩の多い私の人生。思い込みによって生じた苦しい感情を解放していくことが「自由な心」で生きるということなのかもしれない。 自分の意識が体を動かす。意識が毎日の暮らし・行動を変える。意識が人生を動かす。どんな意識でいれば幸せに過ごせるのか?試行錯誤中。 気持ちが楽に、自由になる、自分なりに気付いたものを記録します。アイデアのひとつとしてお役に立てたら嬉しいです★