心が満たされず、イライラしたり、寂しい気持ちになったり、誰かに聞いてもらいたいと思ったり、誰かに自分の気持ちを分かってもらいたいと思うことはないだろうか?
・そんな時、どうしたら心が満たされるのだろうか?
自分が今、思っていることを誰かにずっと聞いてもらうと、自分がなにを求めているのか?自分はどうして欲しいのか?自分がどうしたいのか?が見えてきたりする。
だけど、思うような言葉がもらえなかったり、かえって落ち込むような時もある。
人によって、愛情表現が違うように、人の励まし方も違うから仕方がないのだが、
じゃあ、どんな言葉を望んでいたのか?心が満たされるのか?を感じてみた。
『親しい人に、ちょっと聞いてほしいと相談をされた時、
自分だったら、どのように答えるか?』を見ていくとわかる。
相談の中で、その人がどう行動し、どのようなことを思って、どのように言ったかという要素から、
できる限りの言葉を尽くして、私が感じるその人の長所、才能を伝える。
(話を聞いていて、自分にはできないな、そこは自分には見えない視点だなと思う、それはもう相手の才能そのもの)
相談に対する答えは出せないが、
・その人の大事にしている想い
・その人にしかない視点、感覚
を伝える。
その人自身が“自分にしかない凄さ”を知って、本来持っている力を使って動けば何か見えてくるのではないかと思うからだ。
つまり、自分だったら、
『心と言葉を尽くして、その人の良いところ、長けているところ、人と違う才能を、個性を伝えてほしい』ということがわかった。
これは、私が人にやってあげたいことであると同時に、
自分が一番やってほしいことだった。
【なぜ心が満たされないのか?】自分がやってあげたいことを振り返る
私の心が満たされなかったのは、自分が“どうしてほしいのか”が分からなかったからだと思う。
私は、自分の良いところ、才能(大きなものでなくても、人にはない自分の特徴、個性)を伝えてほしいということがわかった。
自分で自分の良さや才能に気付くのはむずかしい。
なぜなら、当たり前のように標準装備されているから。
人から見てもらうと、それぞれの違いから、相手との違いが分かりやすい。
もしかすると、「人の良いところ、才能に気付ける」のが、私の才能かもしれない。
そして、自信のなかった自分が、自分の良さを一つでも受け入れた時、
人との違いを受け入れることができるかもしれない。と思った。
いつも人にやってあげたいと思うことは、自分がやってもらいたいことだった。
そして、そこにあなたの良さ、すばらしさ、才能が隠れているのだ。
終わりに
なぜ心が満たされないのか?
自分が“どうしてほしいのか” “どうしたいのか” が分からなかったから。
どうしたら満たされるのか?
自分だったら人にどうしてあげたいか?を感じてみることで、自分だけの、自分が満たされるポイントが見えてくる。
